お知らせ

◆2017年7月21日(金曜日)

「薬師寺東塔 縁の瓦」が里帰りしました

薬師寺東塔 瓦

 

 

 

 

<薬師寺東塔>  <校名の入った瓦>

新聞やテレビでも取り上げられていますので多くの方がご存知のことと思いますが、この7月11日に奈良薬師寺東塔の瓦が平岡小学校に里帰りしました。

(経緯) 平成21年から薬師寺東塔の解体修理が始まりました。その際降ろされた1万7000枚の平瓦の中の約5000枚に寄進者の名前がへら書きされていました。さらにその中の345枚に寄進した学校の名前が書かれていました。全て長野県の小中高等学校でした。そして平岡小学校のものが2枚発見されました。

これは、昭和26年からの東塔の瓦の葺き替えの際に寄進されたものでした。戦後間もない時代でしたが、長野県の多くの高校(旧制中学)は修学旅行で奈良を訪れており、先生方の中にも薬師寺と深く交流している方が多くいらっしゃったようです。

戦後間もない頃で、奈良県も薬師寺も物資やお金に困っていましたが、屋根(瓦)だけでもいち早く修理しないと保存が難しい状態だったそうです。そこで全国に修理のための寄付をつのったそうです。また特に長野県の学校と薬師寺が縁が深かったこともあり、薬師寺のお坊さんに学校に来ていただきお話を聞いたりし、また信濃教育会としても会をあげて取り組んだそうです。

当時、平岡小学校がどのようにこの寄付に対して取り組んだか

【学校日誌より】

昭和26年 7月2日【月】 講堂朝礼 法隆寺の募金 五円以内

7月23日【月】 朝礼 法隆寺の寄付金

という2つだけがこれに関する記録でした。集まった総額やどのように取り組んだかのなどの細かな点は不明です。学校日誌では「法隆寺」となっており調べたところ、奈良国宝保存連盟よりの依頼の中に「その後法隆寺、薬師寺の修理も進められており・・」というものがあり、薬師寺に限定しての寄付ではなかったようです。ただ経緯や教育会と奈良県との手紙を見ると、薬師寺の瓦への寄付に特化していたことがうかがわれます。

【当時の平岡小】

当時は平岡村(中野市誕生が29年)で、現在の場所に平岡中学も併設されていました。写真の白く写っている新校舎は、児童生徒数の増加(学年が100名を越え、1クラスが50人以上、全校で600~700名)で新築したようです。

給食が始まるのが昭和30年以降、学校日誌には各地区分担で味噌用の大豆を集め、学校で味噌を作っていたり、配布された脱脂粉乳を厳重に保管している様子も記録されていました。日々の生活も苦しく栄養状態もけっして良くない時代に、長野県の全学校からの寄付金が70万円(現在の金額で二千万円)、単純に総枚数で割ると平岡小学校は4,000円ちかくを寄付したと思われます。全校児童が5円強の寄付をしたことが想像されます。

終業式で子どもたちにも伝えました。このことの何をどう伝えて行くかは私たちの使命と思います。2枚の内一枚は痛みがないため再び薬師寺の東塔に使われこれから何十年もの間、世界に誇る文化遺産を守ってくれます。里帰りした1枚は、ひびが入り本来破棄されるものを文化庁の許可をいただき戻ったものです。自分の事、今の事は大切ですが、自分が生きているかわからない未来のため、顔も知らない誰かのために、大切と思うことができる素晴らしさ、そこに私たちはすごいなあと感じているのではないでしょうか。校長室前に展示します。学校においでの際はご覧ください。